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*** 商品詳細 ***
『金剛山電気鉄道株式会社』
第三回~社債募集~昭和3年
☆・1928年・サイズ:約:47x31cm・汚れ傷み無し 発行:金剛山電気鉄道株式会社
☆・案内 金剛山電気鉄道株式会社の内容 事業の現状・拡張工事の経過 工事費と資金関係 朝鮮私設鉄道法と当社 朝鮮私設鉄道補助法 営業成績と利益状態 今後の発展力 申込書・山一證券株式会社御中
☆・金剛山電気鉄道(ムガンサンチョンギチョルト) 日本統治時代の朝鮮で運行されていた電気鉄道路線。現在、路線跡は軍事境界線で南北に分断されている。 総延長は100 kmを越す長距離運転の電気鉄道であった。1918年(大正7年) - 久米民之助、金剛山周辺を視察。1919年(大正8年)12月16日 - 金剛山電気鉄道株式会社設立。1920年(大正9年)9月1日 - 水力発電所の工事開始。1921年(大正10年)9月5日 - 鉄道工事開始。1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災のため発注した電動発電機焼失。1923年(大正12年)10月31日 - 鉄原 - 金化間の鉄道工事竣工。1924年(大正13年)8月1日 - 鉄原 - 金化間開業。1924年(大正13年)11月26日 - 鉄原 - 金化間電車運転開始。[4]1925年(大正14年)11月30日 - 金化 - 金城間開業。1926年(大正14年)9月15日 - 金城 - 炭甘間開業。1927年(昭和2年)9月1日 - 炭甘 - 昌道間開業。1928年(昭和3年)6月15日 - 最大の難関である断髪嶺のトンネル工事着工。1929年(昭和4年)4月15日 - 昌道 - 縣里間開業。1929年(昭和4年)9月15日 - 断髪嶺トンネル開通。1929年(昭和4年)9月25日 - 縣里 - 花渓間開業。 なお開催中の朝鮮博覧会見学のため朝鮮を訪れた観光客のために、花渓~五両間も臨時開業するも、一旦休止1930年(昭和5年)5月15日 - 花渓 - 金剛口間開業。1931年(昭和6年)5月24日 - 久米民之助社長死去。1931年(昭和6年)7月1日 - 金剛口 - 内金剛間開業し金剛山電気鉄道全通 また同時に金剛口駅を末輝里駅と改称。1931年(昭和6年)8月2日 - 二等旅客扱い開始。1942年(昭和17年)1月1日 - 金剛山電気鉄道株式会社、京城電気に合併され京城電気金剛山電鉄線となる。1944年(昭和19年)10月1日 - 昌道 - 内金剛間が不要不急線として廃止・・・・・・
☆・久米 民之助(・1861~1931年・日本の土木技術者、実業家。衆議院議員を4期務めた政治家。 1918年・久米は朝鮮半島の金剛山とその周辺を視察した。当時の金剛山は交通の便が極めて悪く、 景勝地でありながら訪れる人も極めて少なかった。久米は朝鮮半島の東側が急で西側がゆるやかな地形に着目した。 西側に流れる水をトンネルで東側に導き、水力発電を行ってその電力で金剛山まで電気鉄道を走らせることが 出来ないだろうかと考えたのだ。早速専門家に委託して事業の実現可能性を検討し、 有望な事業であるとの結果が出るや会社設立に奔走、1919年・に金剛山電気鉄道株式会社を設立し、 自ら社長に就任した。金剛山電気鉄道は会社設立直後、第一次世界大戦後の不況の影響をまともに受け、 その上に鉄道の営業開始直前に関東大震災が発生して、電車用の電動発電機が震災で発生した火事で 焼失してしまうなど経営に苦労した。久米は代々木御殿を売却し、その資金を金剛山電気鉄道の運転資金に 充てるなど経営に尽力した。 1931年7月1日、金剛山電気鉄道は完成するが、久米は完成を見ることなく病没した。 晩年は、金剛山の観光開発に実業家人生の最後の情熱を注いでいた。例えば金剛山の登山コース整備や、 金剛山協会という金剛山の保護と宣伝を行う機関の創設に尽力した。その功績が認められ、久米の遺骨の一部は 金剛山の麓に建立された久米の顕彰碑の下に分骨され、金剛山の最高峰、毘盧峰直下に建てられた山小屋は 久米の名を取って「久米山荘」と名づけられた。しかし朝鮮半島の南北分断、朝鮮戦争の結果、 金剛山電気鉄道は廃線となり、金剛山の観光開発に久米が尽力したことも忘れ去られた。☆・肩書衆院議員(無所属)生年月日文久1年8月(1861年)
出身地上野国利根郡沼田町(群馬県)・学歴工部大学校〔明治17年〕卒
経歴皇居御造営事務局御用掛を経て、工部大学教授となった。その後大倉組に入り、 佐世保鎮守府の建設工事を担当。次いで満韓起業株式会社取締役に転じ、 土木建築界視察のため東洋、欧米を巡遊。帰国後工事測量、設計、監督、鑑定など土木建築業に従事した。 また第5回総選挙以来代議士当選4回。没年月日昭和6年5月25日・・・・
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◎・篠路:S50288.2021.11.25